2012/12/21
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今日も早起き出来た。早めに学校に着いたのでパンを買って食ってたばこを吸った。朝の学校の喫煙所は落ち着く。
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シェイムを噛み締めつつある。これは深い名作か。
妹が勝手に家に上がって流してた曲Chic(シック)の「I Want Your Love」が欲しくなったのでiTunesで検索したらヒット。
しかも昨日借りてきたばかりのソウルミュージックアルバムだ。サム&デイヴのソウル・マン目当てで借りた4枚組の大ボリュームのやつ。
いろんな曲が入っていて最高だ。
見た目が汚くて歌詞カードもコピーしたものだし、曲目の一切が書いてないので誰も借りないだけで、とんでもないお宝アルバムだ。
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冬休みはレポート等があったりして結局そんなに映画、見られないだろうなあ。
あと、全日が休みの日が連続すると結局何もしないで終わっちゃうことが多い。
平日のように学校がある日のほうが、映画を見る時間を確保するためのスケジューリングがし易い。
のである。
おわり
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2012年の学校が終わった。冬休みだよ。
トレインスポッティングを見ようと思ったけどなんか疲れてたから途中で止めてたばこを2本吸った。よく考えたら今日は結構吸ってる。馬鹿
今から髪を切ろうと思うのだが死ぬほど面倒臭い。
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僕はビンゴ大会が大嫌いだ。
当たらないからという稚拙な理由じゃなくて、ビンゴになって前に出て注目を浴びるのが死ぬほど嫌だからだ。どちらかというとこっちのほうが稚拙な理由かもしれないが。
無理やり参加させられたビンゴ大会では、番号が発表されて穴が開いていくたび、このまま死んでしまうんじゃないかと思うくらい心臓の鼓動が早まって苦しくなる。
なので自分のビンゴカードに当該の番号があっても穴は開けず、脳内にインプットしたカードに穴を開ける。
他人に自分のビンゴカードを見られることを極端に嫌い、リーチや仮にビンゴになろうとも絶対に言い出せません。賞品が尽きてビンゴ大会が終わった途端、答え合わせのように穴を開けるのだ。
幸か不幸か、今までそのようなスタンスを取ってきてビンゴになったことはない。
ビンゴした際の注目のシャワーや緊迫等のリスクを負うくらいなら賞品など要らない。とにかくビンゴ大会自体の雰囲気が怖くて仕方がない。
声たかだかに「ビンゴ!」と叫び舞台上に意気揚々と飛び出していく人の気が知れない。そこまでのリスクを冒してまで欲しいものなのかそれは。
ビンゴ大会の場合、賞品が糞しょぼいものである可能性もあるため、こっちが大怪我を負っているのに支給される救護具がきったない絆創膏だったら最悪だ。死んでもいい。
もちろんそういう社交イベントに慣れていかなくてはならないのは重々承知だ。でも死ぬほど嫌なのである。
「人見知り芸人」で有吉が同じことを言っていた。よもやここまでいくと人見知りどころか病気の域に達してしまうような気がする。
最近は気の知れた仲間内でのカラオケにも慣れてきて、むしろカラオケの場合は好きなことにカテゴライズされるわけだが、これだけでも僕にとっては大きな進歩である。
カラオケにビンゴ、もう体が持たない。精神がボロボロになる。
カラオケや飲み会に関しても気の知れた仲間、だからだ。気の知れてない仲間との諸イベントに関しては今まで逃げてきたため未知数だが、想像はつく。死ぬ。圧死するだろう。
よくもまあ、こんな奴が中学のとき人気者になれたものだ。お笑い好きが功を奏した結果である。お笑いに人生を救われた時代だ。
いまはお笑いだけでは戦えない。お笑い好きなんか隠すべき嗜好だ。
こういうときにいつも思い浮かぶのは、やはり「桐島、部活やめるってよ」なのだ。
この映画を越える映画に出会うのは何十年後だろう。それぐらい僕にとって深く感銘を受け、また深く心を抉られた作品だった。
今日も突然ビンゴ大会に参加させられたのだが、今もまだソワソワしているくらいやばかった。ビンゴにはならなかったが冒頭ボコボコと穴が空き、リーチになりかけたときは死のうかと思った。(結果リーチにすらならなかったが。)
帰り際、クシャクシャに丸めて紙クズと化したビンゴカードをポケットから出して広げ、噛んでいたガムを包んで捨てた。
36の穴からガムがはみ出た。