2012/09/25
すっかり秋、というかむしろ寒いくらいなのだが。
ここ二ヶ月邦画を中心に見まくっているので映画制作への意欲がすごいわけだが・・。
最近ようやくわかった、というか以前から思っていたことが近頃確信に変わったのだが、
僕は莫大な金を掛けたハリウッドのアクション映画より限られた資金の中で緻密な脚本をもとに作られた日本映画のほうが好きなのだ。
先ほど内田けんじ「アフタースクール」を見たのだが、どんでん返しが過ぎて何だか混乱してしまった。あれもこれも全部刑事だったのか?確かに圧倒はされたが。
もう2、3回見ないとしっかり理解はできなさそうだ。
それくらい脚本が密に作られているのはすごい。
そしてやはりオーディオコメンタリーはおもしろい。三谷幸喜然り、先ほどの内田けんじと大泉洋のオーディオコメンタリーもおもしろかった。
高校生の頃狂ったようにあらゆるラジオ番組を聴いていたのもこれに通ずるものがあるのだろうか。
それこそ高校生の頃はラジオを狂い聴きし、テレビでやっているバラエティを片っ端から録画して母から「一週間に見るバラエティを減らせ」と言われるまでに見まくっていた。
お笑い狂だった。お笑いオタクもいいところだ。
何か嫌なことがあるとお笑い番組にエスケープして吹き飛ばしていたことがしばしばあった。
というか、毎晩そんな感じだった。
数年前に比べると、ちょうどお笑い好きにとっての年イチの特大イベントであるM-1グランプリが終了した頃から徐々に僕のお笑い熱も冷めていき、
しゃべくり007やリンカーンなどといった比較的幼稚なバラエティ番組を「つまらない」と思うようになりやがてHDDの毎週録画機能を停止した。
モヤモヤさまぁ~ずやタモリ倶楽部のようなオトナの落ち着いた番組にシフトしていった。
今でも実生活がキツくなってくるとバカなバラエティ番組をたくさん録画してまとめて見て疲れを吹き飛ばす。
お笑い漬けになっていなかったらもっとやばい人間になっていたのかと思うと恐ろしい。
いや、恐ろしすぎる。
M-1グランプリのイベントに一人で行ったことを考えるとお笑い狂になりすぎていた部分があるのかもしれないが。
お笑いという安息の地に身を委ねすぎた部分は否めないが。
今後はバラエティ番組よりも喜劇映画という、より高尚(であろう)なお笑いに触れていきたいと思う。
という思いを込めて先日、天地明察と鍵泥棒のメソッドのどちらを見るか迷った挙句鍵泥棒を見たのだ。
という意味もある。
天地明察はワーナーとTOHOシネマズ(近所の映画館はこの2社だけ)のどちらでも上映していたが鍵泥棒はワーナーでしかやっていなかったからワーナーのスタンプカードのラス1を埋めるのは鍵泥棒にしよう、という理由が50%、
お笑いが好きだからというのが残り。
本当は三谷幸喜作品のようなバカみたいにでかいセットを組んでベタベタの笑いを起こすような「ド喜劇とド群像劇」が好きなのですが。
それから、日本のコメディというのは海外と比べると上品なのである。
アメリカのコメディが下品すぎるというほうが適切か。
アメリカのコメディは下品すぎる。
セリフでも何でも、どこかしらに必ず下ネタが出てくる。
日本映画のようにサラッと出すのではなくてなんかこう、あからさまに。
ハイ下ネタ出しますよ~ セックス、みたいな。
ほいで必ずゲロを吐く。
たまに障害者や差別的描写があったりする。
実に下品だ。
それがどうも受け付けない。
「おもしろい」より「きったねえ」が先行してしまう。
だが日本映画のように下品な描写をそぎ落としてしまうとそれはアメリカのコメディではなくなる。
下品だからこそのアメリカンコメディなのだ。
そこが文化の違いであり、僕がアメリカンコメディを見るたびに受けるカルチャー・ショックである。
お熱いのがお好きみたいなメローでごっついエロティックな映画は良かったが、
甘美すぎてコメディ感が薄れてしまった気がする。
笑えた箇所があったかと言えば、思い出せない。たぶんそんなに無かった。
あってもクスッ、くらいだろう。
喜劇映画を見るならば豪快に笑ってみたいものだがバラエティ番組のようにはいかないのが映画である。めちゃくちゃ笑えるコメディ作品ってあるのだろうか。
ロンハーやモヤさまを見てるときのような爆笑が起きる映画とは。
無い。
なぜなら笑いが起きるにはツッコミが必要だからだ。
もういろいろ書きすぎてお笑い狂の気持ち悪いお笑い論がひけらかされているわけだが・・。
さっきのアフタースクールの一場面で非常に面白かった箇所があった。
神野(大泉洋)が車中で待機している北沢(佐々木蔵之介)からの指示が聞こえるイヤホンを耳に入れて個室ビデオ店に潜入するシーンだ。
神野が北沢の言う通りに店員と接触し、「好きなDVDを持って個室へどうぞ」と言われDVDを選ぶ。
神野がAVの棚を眺めていると北沢の「何でもいいよ」という音声が入り、慌てて手前にあった適当なパッケージを触る、
それを取るかと思いきややめる、サッと2つほど上の段に手を伸ばす、たまたま触れたパッケージを取る、動揺しすぎて床に落とす。恥ずかしそうにパパっと拾ってそそくさと個室へ。
ここ。
逆に言うとめちゃくちゃ面白いのはこの1カットだけである。ここは面白いので巻き戻してもう一度見た。
僕はバラエティを見ていてめちゃくちゃ面白い場面があると巻き戻してもう一度見るのだが、それと同じ行為を喜劇映画でやったのはこれが初めてだ。
このシーンはロンドンハーツでお馴染みの「別室でモニタリングしている淳の指示通りに女を動かして芸人を騙す」という企画にそっくりである。
いわばバラエティ番組やコント番組に近い設定なのである。
北沢の「何でもいいよ」というセリフはツッコミにあたる。このセリフがあるからこの数秒の1カットがこんなに面白くなるのである。
笑いは裏切り、とテベ・コンヒーロ内で有吉が言っていた。
裏切りのあとにツッコミ(是正)があってはじめて笑いが成り立つ。
大抵の喜劇映画のボケにはツッコミが無いので笑いが起きにくい、と考える。
チャップリンやMr.ビーンなどは奇特な彼らを取り巻く正常な一般人がいるから面白いのであろう。
となると、「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」を見に行ったときに隣にいたヤンキーが場面場面でめちゃくちゃ笑っていたのにも納得できる。
僕はそこまで笑えず、むしろジョニー・イングリッシュに関しては期待はずれの全然おもしろくない映画にカテゴライズされてしまうわけだが、
笑いのハードル、笑いの防波堤は人それぞれだということなのだろう。
笑いの防波堤が砂浜の人だっているし、スーパー堤防の人だっている。
そういうことだ。
そういうことなのだ。
僕は何を書いているのだろうか・・・・。
誰も見ていないメモみたいなブログで。
たぶん疲れているのだろう。
バラエティの録画を増やそう。